?★! あの頃の夢の夢⇒僕はいつも一人ぽっちで! [作詞・作曲 ]
なんたって樺太引揚者。親父は終戦直前に招集されてシベリヤの捕虜。母親は胸を患い入院。
わたしは小学校4年から、学校にも通えず今で云う母親介護。病院に寝泊りしていた。 床ずれで紫色に変色していた母親の背中。
痛いと苦しむ母親を、起こすのも小学生には大変な力仕事。母親は亡くなった。
その直前にわたしは過労で倒れ、自宅で床に伏していた。 母親の葬式をするために、押入れに寝ているように云われた。
押入れの戸の隙間から、母親の棺おけが見えた。涙がボロボロと零れ落ちた。
両親健在が就職の条件だった。学業成績よりも両親健在が最優先だった。 落ち込んだ・悲しかった。いつもの時間・いつものポスト。 就職通知の来るのを、拝むような気持ちで待っていた。思い出すと今でも悲しい。
就職できたのもつかの間の喜び。健康診断で胸に疾患があると入院生活が始まった。
母親も身内もいない寂しい生活は,思い出すたびに病室で涙していた。
そんな頃を思い出して作詞・作曲したのがこの曲だった。但しわたしは音楽がもっとも苦手の分野。
音階の出来が悪く、教室で立たされたこともある。
でもその後ボニージャックスが歌ってくれたのが、思い出として残っている。
正にGW(端午の節句)なんて夢の夢でしたよね?!
僕はいつもひとりぼっちで 作詞・作曲 宇都 護
1 僕はいつも一人ぽっちで 窓の空を眺める
病気は軽いと 慰められるが とても淋しい 春だよ。
2 僕はいつも一人ぽっちで 小さな世界に泣くんだ
父さん母さん いつ来てくれるの とても悲しい 夜だよ
3 僕はいつも一人ぽっちで 元気な姿を 夢見る
明るく働き 楽しく遊んだ とても素敵な 夢だよ
4 僕はいつも一人ぽっちで 君の笑顔に まどろむ
優しき瞳に 仄かな愛しさ とてもはかない 恋だよ
新規作成画面では収まっているのですが、文字列のずれ込みがあるようで、これはわたしのレベルでは
修正も手に負えませんので悪しからず。ご免なさい。
涙が出ちゃうな・・・病院で介護する4年生、母が治るならまだ救われる。でも、死にゆく人を見守るのは、大人でも辛い、4年生では重すぎる。神様は、なぜ・・・?
by yuuri37 (2010-05-05 02:25)
お辛かったですね・・・
就職の条件が、「両親健在」というのも
不思議な条件ですね。
by MANGO (2010-05-05 10:09)
私も少し似た境遇ですが常に明るくしています。
今は私の兄弟、親戚は0で、家内の実家のみです。でも幸せです。
by 旅爺さん (2010-05-05 13:27)
乗り越えてきた強さを誇ってください。
by デルフィニウム (2010-05-05 16:15)
思いが、詩の言葉一文字ごとに、こもっています。
お母様をなくされて、押入れで・・・。
こういう思いを時代の背景を、是非、次代を担う若い人たちに伝えていかないといけないですよね。
by moz (2010-05-05 17:55)